#nowreading

本と生活、その断片

渋谷新宿

先日用事があって渋谷、新宿を歩き回っていたのだが、以前これらの街に自分が持っていたネガティブな気持ちが、ちょっとだけ変わりつつあることに気づいた。

学生時代は、特に新宿に出かけていた。と行っても遊びに行くわけではなく、当時新宿三越アルコット(現ビックロ)にあったジュンク堂書店紀伊国屋書店など、大型書店に行って本をまとめ買いするために訪れていた。私は人混みが嫌いで、渋谷新宿のような街に行くと、1〜2時間ほどで頭痛がする体質なのだが、それでも大型書店の誘惑にはかなわず、いわば我慢して、通っていた。

駅に降り立ち書店までの道のりは、なるべく早足で道ゆく人の顔を見ないようにして歩いた。なんだか、その街にいる人たちに、コンプレックスを感じていたような気がする。男性も女性も、みんなキラキラしていて、おしゃれで、イカしてて、自信があるように見える。それに比べて、私は服装もダサくて、ルックスも良くなくて、地震のなさが現れた猫背だ。そもそもこんな街にきていい人種じゃないんだ。っけ、なんだよキラキラチャラチャラしちゃってさ、どうせ遊んでばかりでまともに勉強なんてしないだろう。 素敵な人たちに対する憧れや嫉妬を、心の中でよくわからない言いがかりをつけ、なんとか精神のバランスを保っていた気がする。渋谷新宿は、自分にそういう苦行を要求する場所だと思っていた。

ここ最近は渋谷新宿に行く機会はとんと減り、同じ人混みでも東京駅(や丸の内オアゾ丸善)などに行くことが多くなった。もちろん東京駅周辺もひどい人混みの時はあるが、それでも渋谷新宿よりはマシだと思った。 それが、先日久しぶりに新宿に行く機会があった。新宿東口の繁華街を歩きながら、早く用事を済ませて帰りたいな・・・と思っていたが、こちらも無駄に歳を重ねたせいか、なんとなく周りを見る余裕もできてきたようだ。そうやって道ゆく人とすれ違い続けると、だんだんと自分の中にあったコンプレックスのようなものが溶けていく気がした。新宿を歩く人々が、あまりに多様だとわかったからだ。確かにキラキラチャラチャラな人もいる。私の苦手な人種だ。しかしそれとは真逆の人もいる。地味で鈍臭そうで、意識しなければ視野の片隅にも入ってこないような人がいる。

当然だ。あまりに当然のことだ。だが、それらどんな人でも新宿に馴染んでいる。誰も周りを気にしていない。それぞれがそれぞれ過ごしたいようにその街を歩いている。

繰り返すがあまりに当然のことだ。しかし、そんな当然のことを改めて意識した瞬間に、私自身とても楽になった。ああ、私が新宿を歩いていてもいいんだな、そりゃあ誰も私のことなんて気にしていないよねぇ、と。

今だったら、新宿駅から書店までの道のりも、もう少しゆっくりじっくり歩きたいと思うのに、もうジュンク堂書店も、紀伊国屋書店南口店も、なくなってしまった1


  1. もちろん紀伊国屋書店本店は健在だが、ちょっと遠く感じるんだよなあ。