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本と生活、その断片

『ふしぎな君が代』(辻田真佐憲、幻冬舎新書)

ふしぎな君が代 (幻冬舎新書)

ふしぎな君が代 (幻冬舎新書)

国歌のはずなのに、何かと論争になる「君が代」、私たちはその国歌についてどれだけのことを知っているのだろうか?と問いかけてくるのが本書『ふしぎな君が代』だ。

明治維新後、外交儀礼上国歌が必要になった際、古くから親しまれてきた古歌を歌詞の原型とし、君が代が作曲された。しかしそのメロディは、今日我々が知る君が代のそれではなく、別物であった。しかも急ごしらえの製作だったために「国歌案」はいくつも出現し、現在の君が代が事実上の国歌になったのは1893年ごろまで待たねばならなかったと本書は指摘する。

戦前において天皇を讃える歌へと変貌した君が代は、しかしその歌い方(起立して姿勢を正し、一回だけ歌う)については昭和に入ってようやく統一されたものであり、我々がついイメージしがちな、戦前における君が代の神聖かつ厳格な取り扱いというのは、その曲の成立から長い年月が経った後でのことだった。

戦後においても君が代は国歌の座からひきづり降ろされる可能性もあった。軍国主義的である、曲調が暗いなど、今でも言われ続ける批判は当時から(いや、「暗い」については成立初期から・・・)あったようだ。恋歌であった古歌をもとにした歌詞でありながら、戦前天皇のみを賛美する曲であった君が代は、戦後においても「君」が天皇をさすことを否定しなかった。しかしその解釈は180度変わり、日本国憲法下においては天皇が「象徴」であることから、「君」すなわち天皇を讃えることは日本国・日本国民を讃えることであるという解釈を得た。そして今日まで、その国歌としての地位を守り続けている。

本書に書かれている君が代の国歌としての成立過程、晒されてきた批判、そしてそれをくぐり抜け国歌としてその地位を強固にしてきた過程を相当ざっくり書くとこんな感じだが、読めば本書が平易にかつ詳細に、君が代の正体をあらわしてくれていることがわかるはずだ。ちょっと避けがちな君が代の話題、それを滅法面白く読ませてくれる、好著だ。


本書を読むと、「君が代の成立時は実は今とは違ったメロディがついていた」ということがわかる。今日、「へぇ、そうなんだ」と思ったらすぐにYouTubeで検索すると、音源がヒットするのがありがたい。

まずは現行の国歌、「君が代」。

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